5月23日

最後にブログを更新してから、はや2ヶ月。この2カ月は本当につらい毎日だった。そしてあと1、2年ぐらいはつらい日々が続くだろう。

 

さて、今回は最近見た映画についての記憶を保存しておきたい。今回見たのは ウォルター・ヒル監督「ベイビー・ドライバー」だ。頭文字Dの音楽にドリフトの映像を合わせるというYoutubeの動画を見たのが、この映画を見つけたきっかけだ。

www.youtube.com

この映画は「車・女・銃・音楽」という4つの言葉だけで言い表すのがいいだろう。一言で言えば、男が一番好きな種類の映画だろうけれども、こういう表現は今の時代には合わないかもしれない。あらすじについてはWikipwdiaを参照されたい。

主人公はいつも音楽を聞いているという設定だが、劇中に流れている音楽と銃撃戦が同期することでリズム感が生まれ、終わった後の爽快感がとても良い。

自分はNetlixで見たのだが、石塚運昇ケヴィン・スペイシーを演じているのが、とてもよい。というのはNetflixのオリジナルシリーズの一つ、ハウス・オブ・カードでのケヴィン・スペイシー石塚運昇が演じているからだ。ケヴィン・スペイシーx石塚運昇のコンビネーションがとても心地いい。

ついでにユーロビートにもハマった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3月30日

感傷的な気分になったので、少し書いておこうと思う。

結局、人間って生きていくしかないんだよな。

震災で両親を亡くした青年のドキュメンタリー、エヴァンゲリオン庵野監督のドキュメンタリーを見て、そう思った。いや、思い出した。

一見、無関係に見えるこれらのことは、実は一つの共通項でくくられると思う。

それは、みんな何かを失ったということだ。

ドキュメンタリーでは庵野監督の父親が片足を失っていることが明らかにされた。それにより家族で出かけた記憶がなく、庵野はそれが欠けていることだという。

ドキュメンタリーを見た後でこんなことをいうのは後出しじゃんけんのようにしか聞こえないが、序破Qを見た後でエヴァの主要な登場人物がみんな何かを失った人だと気付いた。

シンジは両親を、アスカは母親を、レイは人間を、ミサトは父親と恋人を、ゲンドウは妻を失っている。人はいずれ死ぬのだから、彼らが誰かを失ったとしても不思議ではない、ということも可能だろう。しかし、彼らはいわゆる「普通」の人に比べるとかなり早いタイミングで人間を人間たらしめる大事な人を失っている。これが庵野の言う「欠けている」ということなのかと、そう理解したつもりだ。

(余談になるが、このことに気付いた時、私は「失った」と理解したつもりだった。しかし、ドキュメンタリーの中では「欠けた」という表現で語られており、こちらの方が適切な表現だと感じた。)

こういう風に理解したのは、自分自身、幼い頃に父を自殺で亡くし、兄を交通事故で亡くした経験があるせいだろう。どんなに長い年月が経ってもこの記憶が体に染み込んで、二度と出ていこうとしない。上で述べたような解釈はこの記憶のおかげでもあるけれども、この記憶のせいで随分と苦しめられてきたし、今も苦しんでいる。といっても、人の助けを求めるほどではないが。

最初の話に戻ると、震災で両親を亡くした青年のドキュメンタリーもこの記憶を呼び起こすのにそれほど多くの時間を要しなかった。彼はかなり自分と類似した経験をしていた(もちろん親も友達も故郷も失った彼の方が自分より相当辛いだろうとは思うが)し、何よりも彼が通っていた塾の講師の言葉が胸に刺さった。その講師は彼が両親を失ったという事実から目を背けていたことに対し、両親の死を受け入れるよう諭したのだった。

私も父が死んだ時はどこか出張にでも行ったのだと思い込もうとしていたし、兄が死んだ時もどこか旅行にでも行っていたのだと思い込もうとしていた。しかし、私の父と兄が死んだという事実は何も変わらない。彼らは永遠に帰ってこないのだ。私が彼らと酒や言葉を交わすことも決してない。その事実から目を背けて生きるには、人生というものは長すぎる。いつしかそう思うようになった。

この間公開された新劇場版でも同じことが想起された。結局、時間というもの我々がどう思ってもどう足掻いても勝手に進んで行ってしまう。それに合わせて我々の人生は進み、寿命は短くなるばかりだ。父と兄を亡くしたという事実は消えないし、今後も苦しみ続けていくだろう。だが、いちいちそれに構ってやる暇は生憎持ち合わせていない。それならば、思い切って自分の人生を楽しく健やかに過ごして行こうではないか。「生きる」ということをもっと実感しようではないか。そういう風に思えてきたのはここ2、3年で自分の頭から消えかかっていたので、今回わざわざ引っ張り出して、記録に残しておこうと思った次第だ。

やたらと小難しい言葉を使っているのは、そういう文章に対する憧れでもあるし、より正確に自分の気持ちを表現するためでもある。何卒、ご理解頂きたい。

 

2月10日 『歴史の教訓』

今日はとても天気がいい。が、相変わらず家で過ごしている。

一つは寒いからだが、コロナ対策という言い訳もある。

さて、今日はアーネスト・メイ『歴史の教訓』を読み終わったので、軽く感想を書いておく。

本書は第二次世界大戦、冷戦、朝鮮戦争ヴェトナム戦争において政策決定者が用いた歴史の推論を分析したものである。

要は政策決定者たちがれ歴史をあまり分析せずに現在進行形の事象に当てはめて、失敗したということだ。確かにこういう現象はジョンソン政権の核不拡散政策を研究していた際にも度々出現してきた。しかし、それはどちらかというと主にソ連側に顕著であった。例えば、ソ連側は西ドイツがMLFによって核兵器運用に参加し、後に第二のヒトラーが出現すれば、とんでもない結果が待っていると主張していた。ただ、西ドイツが核兵器取得に興味を示していたのは、アメリカの外交文書が分析していたように安全保障という理由よりは、国家の威信という点が大きく貢献していたのではないだろうか。まぁ、ソ連がMLFに反対していたのは、西ドイツが核兵器保有することにつながるからだけではなく、NATOがより団結することを阻止しようとしていたからでもあるだろうが。

始めは『歴史の教訓』が"Thinking in Time"の訳だと思っていたんだが、"Thinking in Time"はメイとニュースタットの二人が授業でやっていた歴史の活用法を本にまとめたものなんだと理解。(進藤栄一のあとがきより)

このまま"Thinking in Time"も買おうかと思ったけど、まだ積み本が多いのでそちらを消化しようと思う。次に読むのはずっと読みたかった板山真弓『日米同盟における共同防衛体制の形成』。何もやることはないので、じっくり読もうと思う。

 

 

 

 

2月6日 色々と終了!

今日は院試だった。

手応え的にはよくわからんというのが本当のところで、饒舌に話せたというところもあったし、逆に的外れな答えをしていたんじゃないかというところもあった。

できれば受かっててほしいが、落ちたら落ちたでそれは全く構わない。受かっててわざと行かないという選択肢とはかなり異なるから。

なぜこういう考えをしているかというのは大学受験までさかのぼる。中高生の時はずっと防大に入りたかったが、家の事情がかなり変化したということもあって別の大学に進学した。防大も今通ってる大学もどちらも同じぐらい行きたかったので、両方合格して、どちらか一方のみを選ぶというのはかなり苦痛だったし、コンプレックスに感じている。

以前、偶然防大に通ってる方とお話しする機会があった。何を思ったか僕は防大に行きたかったが、行かなかったということを話してしまった。その瞬間に気付いたのだが、防大の学生さんは同じようなことを何度も言われているだろう。案の定、彼は「そういう人多いですよ。」と言い残し、蜘蛛の子散らすようにその場から離れていった。その瞬間、防大に行ってないことをコンプレックスに感じていたのだと本当に理解した。

でも、今回は違う。自衛官になるか大学院に行くか、どちらの選択肢も存在した。しかし、意図的に取り敢えず今は大学院受験を選び、自衛官の試験を受けるという行動をとらなかった。これはある意味で、試験に不合格にすることを恐れていたといわれても仕方ないが、ある意味でどちらにも合格し、また同じようなコンプレックスを持つことを避けることができたのだ。

だが、大学受験レベルと大学院受験レベルはやや話が違うようにも感じる。大学は人生の中で一回、それも多くの人が18歳から22歳の間に通うのに対して、大学院は働きだしてからでも十分教育を受けることが可能だからだ。ただ、今更そんなことを言ってもきりがないので、今は目を瞑ってやり過ごしておこう。

2月6日 多様性って最近よく聞くよね

大学の友達のツイッター見てたら、noteへのリンクが張ってあったので、記事を何個か読んでみた。

みんな真面目にいろいろ書き連ねていたけど、僕にはそれはできないと思った。記事をいくつか読んで思い出したのは、うちの学科はいわゆる「意識高い系」だったということだ。僕は全くの意識低い系なので、そういうのがとても気持ち悪く思って、それが学科で友達を作らなくなった原因の一つだったことも思い出した。

意識低い系を自称しているが、実は意識高い考え方には意外と同調している。例えば、多様性なんてのはその典型例で、自分が社会から外れた存在、つまりマイノリティであることは理解しているつもりなので、本当のマイノリティの人達の気持ちはわかるような気もしている。

多様性に共感しているもう一つの理由は、そこまで他人に関心がなくなったということも関係している。相手が黒人だろうが、白人だろうが、黄色人種だろうが、ヒスパニックだろうが、ムスリムだろうが、ユダヤ人だろうが、クリスチャンだろうが、仏教徒だろうが、レズだろうが、ゲイだろうが、バイだろうが、トランスセクシャルだろうが、別にどうでもいい。勝手にしてくれ、という思いが強い。というか、なんでそんなに相手の人種とか宗教とか気になるんだろうか。まったくもって謎である。

1月29日(2) 死ぬことについてあれこれ考えた

書けるうちに多く記事を書いておこうと思う。

去年の今頃のブログを見ると、去年も今も「死にたい」という気持ちはあまり変わってない。なぜ自分だけが生き残ってるんだろうか。心に隙が出来るとそんなことだけ考えてしまう。

有名人が家族を亡くすと、その人に寄り添う記事が多く出てくる。それが真にその人を思ってのことかどうかはさておき、不運な形で家族を亡くす人なんかは山ほどいて、そういう人たちは独りで悲しんでいるのかな、と思うとそのことに心が痛む。

最近は唯一残っている肉親がなくなったらどうしようと気が気でない。特に相続関係とか名義変更とかで税理士だとか司法書士だとかに頼むのが非常に面倒くさい。かといって自分でそういう勉強をするかと言えば、そんなことをやる気は起きない。そういう士業の友達がいれば、頼むときの手続きが楽になるかなとも思ったけど、友達に財産の状況とか見られるのはあまりいい気がしない。結局、全く関係のない人に頼むしかないんだろうけど、他人をあまり信用しない人間なので、その人が信用できるかどうかわからない。現実的にはそういうジレンマ的状況を心を痛めながら乗り切るしかないのだろうけれども。

1月29日 ブログについて

いつの間にか1月も終わりに近づく。

マスク生活が長くなったせいで、冬は白い息が出ることを忘れていた。

ゼミ論文、院試、期末テスト。

多くのことを一度にこなすような器用なことはできない。

だから、全部を投げ出して、久々のブログ更新に勤しんでいる。

今生きてるこの時間を共有したくて、毎日更新されてるサイトを探していたけど、「毎日更新」で検索すると、ブログは毎日更新した方がいいというようなページしか出てこない。みんな楽して金を稼ぎたくて、ブログをはじめようとしてるんだね。

結局、楽して稼げる仕事はごく少数だし、才能がないとその仕事とマッチングすることもないだろう。