4月1日
土屋大洋編著『アメリカ太平洋軍の研究』千倉書房、2018年
R.O.コヘイン、S.ヴァーバ、G.キング著、真渕勝監訳『社会科学のリサーチデザイン―定性的研究における科学的推論―』勁草書房、2004年
梅本哲也『核兵器と国際政治:1945-1995』日本国際問題研究所、1996年
を読んだので、記録しておきます。
三冊もあるので、簡単に感想を書いておきます。
まず、『アメリカ太平洋軍の研究』についてですが、どの章も非常に興味深いものでしたが、後半の章は太平洋軍というより、米軍全般に関することのように感じました。
『社会科学のリサーチデザイン』については、いつか読まなければならない本だなと思っており、ようやく読むことが出来、すっきりしました。本書は、手続きがないと言われる定性的研究を定量的研究の論理に従って、整理したものとなります。因果関係の定義が今まで読んだ『政治学の方法』や『原因を推論する』と異なっており、やや困惑しました。あと、事例と観察は異なると言っていましたが、具体例があればより明確に理解できたように思います。
『核兵器と国際政治:1945-1995』もいつか読まなければ、と思っていました。どの章も非常に面白かったですが、黒澤先生が指摘していたように国際政治というより、核兵器とアメリカという感じがしました*1。また、米ソはともに核超大国でありながら、米国は欧州の拡大抑止を担っていたり、ソ連は自国からアメリカに届く核兵器は限られているなどの点で異なっていることや核不拡散に関して、保障措置・輸出管理と原子力の「平和利用」とのトレードオフも非常に興味深かったです。
3月15日 佐々木卓也『アイゼンハワー政権の封じ込め政策』の感想
佐々木卓也著『アイゼンハワー政権の封じ込め政策―ソ連の脅威,ミサイル・ギャップ論争と東西交流―』(有斐閣、2008年)を読み終わったので、忘れないうちに感想を書いておきます。
本書はアイゼンハワー政権の封じ込め政策を歴史的な手法で明らかにするもので、特にアイゼンハワー政権が軍事・経済的な封じ込め政策というよりも文化的な封じ込め政策を行っていたことに力点を置くものです。
アイゼンハワーは大量報復戦略でよく知られていますが、その背景にはアメリカはソ連を充分に抑止するだけの核戦力を持っているという認識がありました。しかし、その背後にはソ連との冷戦が長期間にわたる戦いであると踏んだ上で、兵営国家になることで経済的に崩壊することなく、アメリカの生活様式を守る、という目標がありました。そのため、アイゼンハワー政権はスプートニクの打ち上げなどから巻き起こるミサイルギャップ論争に対しては非常に落ち着いた対応を取り、国防費の増加を抑えていました。
また、アイゼンハワー政権は長期的な冷戦に勝利するため、米ソ間で文化交流を行い、ソ連国民にアメリカ人の生活水準の高さを見せつけ、そのような生活を求めさせることでソ連政府に圧力をかけるという封じ込め政策を実施しました。実際、その封じ込め政策は、アメリカの視点からみると成功でした。
以上が本書のざっくりとした概要です。
もちろん、アイゼンハワーが財政均衡主義を主張する保守的な人物であることは教科書等で知ってはいましたが、その財政均衡主義が大量報復戦略や充分性の概念と繋がっていることは今まであまり意識していませんでした。アイゼンハワーは財政上の均衡を守るため、限定戦争は同盟国の通常兵力に任せることで、自国がそのような戦争に関わることを避けようとしていました。また、財政均衡の観点からだけではなく、限定戦争は即、核戦争に直結するものであるという考えも限定戦争を避けることに影響していました。
そのため、アメリカは通常戦力よりも安価な核戦力に依存し、ソ連の攻撃を抑止するだけの充分な核戦力を維持し、限定戦争は同盟国に任せることで財政均衡を達成し、核戦争を防止しようとしていました。
以上のことは必ずしも本書がもっとも主張したいこととは、かなり離れているとは思いますが、本書はアイゼンハワー政権の核戦略を理解する上でも、有用な文献であると思いました。
また、冷戦は長期的な戦いで、文化的な封じ込め政策によってソ連に勝利することが出来る、というアイゼンハワーの冷戦に対する考え方は、偶然にも冷戦が終結する理由とあっていたわけですが、アイゼンハワー政権の封じ込め政策は果たして成功したのかという点については非常に答えにくい問題だと思いました。アメリカの政策担当者はこの封じ込め政策が成功したと記録していますが、このようなパブリックディプロマシー的な政策は定量的に評価することが非常に難しいもので、この政策が成功したか否かについては政策担当者の主観に大きく依存しているのではないか、とも思いました。
3月8日 『ランド 世界を支配した研究所』の感想
『ランド 世界を支配した研究所』を読んだので、忘れないうちに感想を書いておきます。
訳書というのは、英文を無理やり和訳したものなので、日本語で読むとかなり難解になってしまうのですが、本書は日本語でもとても読みやすくなっています。というのは訳者が訳者あとがきで書いているように原作者と頻繁に連絡をとって、人名の読み方など細かなところまで気を配っているからだと思います。
序盤はランドが空軍のシンクタンクとして誕生し、ORやシステム分析を使いつつ、政策助言をすることで成長していくことが描かれています。中盤以降はバーナードブロディやハーマンカーン、アルバートウォルステッタ―が中心となってランドが核戦略に参入していく様子が描かれています。また、ランドがベトナム戦争の研究を通して、戦争賛成派と反対派に分かれ、ペンタゴンペーパーが流出します。終盤ではウォルステッターの弟子(ランドに在籍していたものが多い)がアメリカ政治の中心になっていく様子が描かれます。そこではランド研究所が9.11までにテロ研究に従事していたことも言及されています。
以前、『DARPA秘史』を読んだときにも思ったのですが、DARPAもランドも数字ですべてを理解できると思っている節がありますよね。特にランドの場合、ケネスアローは個人はすべて自分の効用を最大化することを目的としているという前提を立てて、合理的選択理論を構築します。ゲーム理論でもこの前提が用いられるのは、ゲーム理論を作ったと言われるフォンノイマンと合理的選択理論を作ったケネスアローの両者がランドに在籍していたことと決して無関係ではないだろうと思います。作者のアベラはこの前提を現実を見ていないと批判していますが、この前提によって経済学が発展したことは否定できないと思いますし、前提に現実をすべて取り込むこともできそうにはないので、この批判はやや的外れな気もします。
本書はウォルステッターがコンサルタント業でしこたま設けていたことやウォルステッターの奥さんが『パールハーバー 警告と決定』の著者だったこと、ラムズフェルドがランドの理事だったことなど、学術的な論文ではあまり語られないことを知ることが出来ました。その点でも非常にいい本だと思います。
2月23日
死にたいのに死にたくないという矛盾した感情。
死にたいというよりも生きていたくないというような状況。
死ぬ方法を考えてみたけれど、どんな手を使っても誰かに迷惑がかかる。
家で死ぬと物件の価値が下がるし、その家に住んでいたくないと思わせてしまう。
外で死ぬと目撃者に心理的なショックを与えてしまう。警察も動かざるを得ない。
どこで死のうと自分の家族の助けがいる。死ぬためにも生きてる者の助けを得る必要がある。それでは死ねない。
生きていても何の価値もないし、生み出せない。ペットだって生きてるだけで価値があるのに、人間は生きてるだけでは価値がない。これが与えられ続けたものの末路か。
原因をどこかに求めるのは簡単だけれども、それでは何も解決しない。かといって解決法は何もない。